
「少年革命家 ゆたぼん」の件でダメ人間が思う、学校へ行く意味
2019.07.18
少し前に話題になった「少年革命家 ゆたぼん」君を発端とした記事です。
今さらこの話題…!?という感じですが、なんとなく頭の中をフワフワしていたので書き出してみます。
ネタ元はゆたぼん君ですが、記事自体は彼についてというよりも、個人的に「学校へ行く」という行動に対して思うことが主となっております。彼個人の考え方を批判するものではないのでそのあたり念頭に置いていただきたく。どちらかというと彼の言う“学校へ行かなくていい”ことを、都合良く解釈して楽をしようとしてる人は危ないんじゃないか、という趣旨です。
先に言っておくと、私は低学歴です。はっきり言って低学歴どころか無学歴に近いレベルです。だからこそ『学校へ行くこと』の大切さについて説得力のあることを書けるのでは…!?と考えています。
みんな私みたいな人間にならないように。
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ゆたぼん君が学校へ行きたくない理由は「宿題が嫌」?
ゆたぼん君が学校へ行きたくない理由として、ネット界隈で取り上げられているのは「宿題が嫌だから」というもの。ざっくり全体を見てみると、学校へ行かなくてはいけないという同調圧力自体に疑問を抱いているようです。
私も宿題は嫌いでしたし、家で机に向かうということが(冗談抜きで)まっったくできなかったので気持ちはとっても分かります。家だと誘惑が多すぎて集中できないのですよね。授業中に終わらせるか、朝早く登校してから手をつけていました。「来るのめっちゃ早いね…」と部活の朝練で早朝に教室にやってきたクラスメイトからドン引きされる事もありました。
しかし、そんなスキマ時間で終わらせられるような量でない時や、家で行う必要がある「お手伝いレポート」的な宿題が出された時は提出できない事も多々…。当時、宿題は嫌い…というか、ひたすら面倒くさかったですね。それでも学校は行かなきゃいけないなと漠然と思っていて、皆勤賞も貰っていました。
当時はいわゆる思考停止状態で、“やらねばならない事をできない自分”が悪いのだと考えていた(実際悪いのですが)ために、このゆたぼん君の行動力はすごいなあと思います。ただ少し、親御さんの経歴が怪しげなので手放しで賛同するつもりはありませんが。
そんなことはともかく。
個人的には、
- 学校へは絶対に行かなくてはならない
- 学校へ行くのは無駄
上記この2つの思想は相反していますが、私はどちらに対しても反対の意見です。
- 学校へ行かなくても良いけど、行ったほうが良いよ
こう考えています。うーん、曖昧!要は、理由があるなら行かなくても良いと思っているのですよ。ただし、本当に行く必要がないのか?を冷静に考えてほしいです。
学校へ行くというのは未来の選択肢を増やすこと
『学校へ行かなくてもいい』なんて選択肢は普通の人ならそう簡単に出てくるものではないはずです。
前提として、同級生によるいじめがあったり、教員の考え方や方向性が“致命的に”本人に合わないなら、子ども自身の尊厳を削ってまで行く必要はまっっったくありません。理不尽に抑圧されて歪んだ精神を立て直し、傷ついた心を癒やすのは大変ですから。
しかし、それでも転校する、通信教育に切り替える、自宅学習を行う等して教育を受けさせるべきですし、同レベルの子どもと関わらせる必要があると思います。
というのも、私は学校でものごとを学ぶということは「選択肢が増える」ことだと考えています。
子供が大きくなってから、医者になりたい、警察官になりたい、弁護士になりたい。「何かになりたい」と思ったときに必要となるのが学歴です。
もちろん学歴を必要とせず、実力だけでキャリアを積んでいける業界もありますが、本人のポテンシャルが高くないと難しいですよね。大人の皆さんは分かると思いますが「なりたい!」と思うだけで何かになれる事はそうありません。
一般的には、会社に雇われたり、何か責任を負うような仕事に就くときには学歴はとても重要なものとなるはずです。
なぜ学歴が大事なのか
何も知らない相手の情報を判断するのに「学歴」は明確な指標となります。ざっくり書くと以下のような感じ。
- 一定以上の素養があるか
- (一流大学であるなら)努力を積み重ねる精神力はあるか
- (専門、学科による)一定の専門的知識を持っているか
私自身は高校を2年で辞めて、その年に高卒認定書だけ取ったダメ人間ですが(恥ずかしながら)、普通の会社に普通に応募したら書類選考で落ちる自信があります。「大体のことは卒なくこなせる」がアピールポイントですがそんなことを言ったところで、目に見える実績や経歴を示さない限りは、「本当に仕事を任せて大丈夫なのか…?」という懸念は拭えないはずです。
仮に示したところで、人間的に問題があるんじゃないかと一蹴されるかもしれませんね。まず、学歴が重要視される世の中においてまともな学歴がない時点で「見通しの甘い人」だと思われるはずです。(自覚は大いにある)「学校の課程もこなせないのに会社で仕事できるの?」って思うでしょうし。
また、一流大学に籍を置くことについては、それなりの人脈を形成できることも大きい要素だと思います。
子供に「なりたいもの」が出来たとき、より達成できる可能性が高い状態にしておいてあげたいですね、私は。
学歴がなくても無問題な人とは
反して、学校へ行かなくても(学歴がなくても)何とかなる人はどんな人かと言うと、「やりたいことがはっきりしている人」です。
明確な目標があって、そのために何をすべきか既に把握できているならそれに向かって注力すれば良いので、学校へ行く時間は目標のためには大きなロスとなります。
それが本当に学歴を必要としない道ならば。
義務教育受けながらでも出来ることはたくさんあるのでは。
また、自分と同じくらいのレベルの人間と切磋琢磨する環境はモチベーションの維持に繋がります。しかしその半面、(能力的、人間的に)レベルの低い人間と関わると、自分の能力を過信してしまったり、「つまらない」と感じる日々が続き大きなストレスと時間のロスになってしまうのです。
私は、後者の状態に陥ったらさっさと一抜けした方が良いと考えています。
子どもにバカ正直に自由を与えるのは果たして良いことなのか
そもそもこういった物事は子どもに判断できるものではなく、子どもの特性を理解してあげた上で親が冷静に判断すべきことなんですよね。
今や年収1億円超えとも言われる元2ちゃんねる創設者のひろゆき氏も、「子どもに本当に好きなことだけやらせたらお菓子食べたりゲームするだけになる」と自身のYouTubeチャンネルで上げている動画の中で言っていました。
明確なビジョンを持って、やりたい事をするための道を正確に選べる子どもがどれだけいるのか?
…と、考えたらまあ、そうそういませんよね。
小学生の私はおバカだったので、「なんでも好きにしていいよ!」と言われたら確実に今よりもおバカになっていましたね。
将来はたぶん渋谷の交差点にベッド置いて逮捕されるような事になっていたと思います。